ぴかぴかしてた!サルでもわかりたいnull²感想

null^2に行ってきた。null^2に行った以上は感想を書かなければならない。こういう難解なパビリオンはカッコいい感想を書くところまでがパビリオンです。……と思っているのだが。

文系学問を修めた人が書くような、あのレトリックのきいた評論文――引⽤や喩えが飛び交い、他の思想なんかも引っ張ってきて――そんなふうに書けたらいいな、と思う。でも全然書けなかった。

大阪・関西万博の人気パビリオン「null2」を編集長が解題 | WIRED.jp

ね、↑こういうのがカッコいいんですよ。やりたいよね、こういうの。


私は落合陽一氏の他の作品を知らないし、コメンテーターとしての仕事ぶりにも明るくない。彼について知っているのは、開成を出て一浪後に筑波大に入学したということぐらい。ので、彼の世界観への基礎知識が足りない私が背伸びしても仕方ない。素朴なネタバレ感想を書こうと思う。

 

インスタレーションモード

私は対話モードより先に、家族と一緒にインスタレーションモードを体験した。

インスタレーションモードは10分弱の光のショーだ。鏡面ディスプレイが合わせ鏡になった空間に広がるモノクロの映像を見るのみで、言語的な説明は一切なされない。

ショーが終わった後、配偶者は「細胞みたいなの出てきたけど、全然意味がわかんない、これが本当に人気パビリオンなの?」と首をかしげていた。周囲の他のグループの反応もおおむね同じだった。「何これ?」、と。

確かに、意味不明なショーだった。ライフゲームなどの人工生命をモチーフにしているのかな、と意味を汲める部分が多少あるぐらいで、あとはストーリーの説明もなく、うごめく光が合わせ鏡に反射しているだけだった。

そんな意味不明で、周囲の反応も芳しくないインスタレーションモードであったが、私はこのインスタレーションモードにハチャメチャに心を動かされていた。

 

その理由はただ一つ、非合法なほどに眩しかったからである。

 

私はナメていた。暗闇で映像を流すパビリオンはどこも「強い光にご注意ください」などと注意してくる。安全重視のオオカミ少年に慣らされて、村人の私は「どうせ映画館ぐらいのもんでしょ」と思っていた。

null^2は想像の5倍強い光を浴びせてきた。ショーの終盤、ストロボを焚いたような、蛍光灯の断末魔のような、激しい光の点滅に部屋が包まれる演出があるのだ。「強い光にご注意ください」と注意はあったが、他のパビリオン同様、サラッと一言説明しただけだった。インスタレーションモードは、どう考えてもその一言の注意で済ませて良い光量では無かった。

あれは、光の二郎ラーメンだった。社会が共有している一人前の分量についてのコンセンサスを裏切って、脂・塩・糖質の暴力で快楽をねじ込んでくるような不健康な刺激だった。

あの点滅、本当に健康に悪影響ないんだろうか、ポリゴンショックみたいな。同じ回に参加していた幼稚園児ぐらいの子たちは「ぎゃあぁぁぁぁ」と泣いていたけれど。

 

不思議なことに、合わせ鏡の空間は、閉じた部屋のように感じられる瞬間と、無限に続くように感じられる瞬間とがあった。(あれはたぶん、鏡面ディスプレイは暗い画面の時に鏡としての性質が強くなるからなんだろう、と後で思いついた)

光が走ると、その線は合わせ鏡の中に広がり、床が抜け自分の身体が空中に投げ出されるような錯覚に陥る。かき回され、疾走し、ヤケクソみたいに強烈な光を全身で浴びるのは、とても心地良い体験だった。

 

○対話モード

日を改めて対話モードを体験した。リワードプログラムで予約を取ったので、チケットサイトでのパビリオン事前予約時に届くと伝え聞くメールは見ていない。インスタレーション以外の前情報を入れないままに、対話モードを見ることになった。

 

ビビった。あまりにもわかりやすいのである。いや、テーマ自体は難解だし、ポエミーな表現で煙に巻こうともしてくる。しかし、全部説明しようとしてくれる。

パビリオン展示自体を2回見ることができるし、AI落合陽一とオーディオオーバービューの音声が2回似たような解説をしてくれる。構成としては親切すぎるほどに親切だった。

全部、とにかく全部、モチーフを教えてくれた。人類の発明の歴史が加速していく様、色即是空胡蝶の夢ライフゲーム、ネコにキノコ。

 

コンセプトとしてはAIアバターと対話させることで、自らにホモ・サピエンスと名付けた傲慢な生き物のアイデンティティを崩壊させるというもの。

捕食者がいないのでつい忘れてしまうが、大体の生き物は他者の食糧としてその命を終える。マグロがいるからといって、アジが「じゃ、マグロさん後よろしく!俺ら種ごと滅ぶんで!」とかにはならない。のでまあ、計算機の知能が(人間が嫌だなと思う形式で)人間を上回る世界が来た後のことは個人的にはかなり楽観的に捉えられた。

 

○まとめ

他人にnull²を勧めるなら、絶対に対話モードを推す。意味がわかるということは大事だ。自分の3Dアバターが、勝手に他人と会話を始めるという、その体験だけで面白く、他で経験できないことだと思う。

翻ってインスタレーションモードであるが、どう考えてもあの光のショーは、それだけでメッセージを伝えきるようにはできていない。もしあれ単体で見て意味が伝わると思うのなら、後知恵バイアスだったか知識の呪いだったか、答えを知ってる作り手の思い上がりだと切って捨ててよい。

だけど私はインスタレーションモードに心を奪われた。あの致死量の光をもう一度浴びたいと思った。

対話モードを見て世界観を知った後なら、あのインスタレーションモードは、nullの森での、電子の世界とも自然の世界ともわからない場所での最もプリミティブな命のあり方やらなんやらを表現しているのかな、などとも考えるが、うん!まぶしいよー。まぶしいのはたのしいよー。理屈抜きで、それが心地よかった。

まあ、低音の響く闇の中で照明を浴びるのはナイトクラブに入るのとそう変わらない体験ではあるんだけど。おまけを失った身体は、それでいいやと思ったのです。