東大生強制わいせつ事件傍聴人が「彼女は頭が悪いから」を読んだから

 「彼女は頭が悪いから」は、姫野カオルコ氏が書いた『フィクション』である。

まったくの創作ではなく、2016年の東大生による強制わいせつ事件を下敷きにした、ノンフィクション風のフィクションである。

 

ストーリーは、被害者女性をモデルにした『美咲』と、加害者である東大男子『つばさ』の2人の視点から交互に語られる。

 

読み始めてすぐに驚いた。『つばさ』のモデルが松本昂樹だったからだ。

事件当時、主犯として大きく報じられたのは、女性を脱がせ、暴行に及んだ松見謙佑だった。松見という少し変わった苗字と、彼の行動――女性器にドライヤーを当てたり、馬乗りになって女性の体の上にカップ麺の具や汁をかけるという奇行によって、主犯格である彼にスポットライトが当たっていたのだ。

しかし、この本の主人公はつばさ、松本だ。そのことは、あの事件の本質をもっとも鋭く切り取っている。

 

 

東大生強制わいせつ事件の一部始終を軽くおさらいする。

 

事件当日、東大男子らと、被害者女性を含めた女性2人とが居酒屋での飲み会に参加した。

被害者女性は、松本と半年前からセフレの関係にあり、松本に対して好意を抱いていた。松本から誘いがあったため、被害者女性はこの飲み会に参加することになった。

居酒屋での飲み会の後、二次会として河本の自宅に移動した。この時、現場となった河本宅には松見、松本、河本、生嶋、藤田、フルカワ氏(女性)、被害者女性の7名がいた。

二次会でも酒を飲ませ、被害者女性が酔うと、松見らは服を脱がし始めた。

一次会からずっと同席していたフルカワ氏は、終電が近くなったために帰宅し、現場には加害者らと被害者女性だけが残された。

体を隠すようにうずくまってしまった被害者女性を、松見らは蹴飛ばしたり、背中をたたくなどした。ドライヤーの熱風を女性の股間に浴びせたのもこの頃だ。仰向けにした被害者女性に松見が跨り、身体を触った。そのうち、松見は女性に跨ったまま食事をし、カップ麺の具や汁を身体にかけて遊んだという。

その後、被害者女性が泣き叫んだため、松見が上に乗るのをやめると、女性は隙を見て逃げ出し警察に通報。逮捕に至った。

 

当時、週刊誌やスポーツ紙などは、このあらましを面白おかしく書き立てた。

ところが大手の新聞各社は、被害者女性に配慮したため、ニュースは断片的なものになった。具体的には「被害者女性が松本に好意を抱いていた」あたりがバッサリと抜け落ち、その代わりに股間にドライヤーを当てた話やカップ麺の具を身体に落とした話が取り沙汰され、東大生の奇妙さ、鬼畜さのみに焦点が向かっていったのである。

 

被害者女性の人権に配慮しなかったゴシップ誌のほうが、よほど事実に近いことを書いていたと私は思う。

松本と被害者女性がセフレの関係にあったことを抜きにして、あの事件は語れない。

 

 

さて、「彼女は頭が悪いから」を読んでいる層の9割は、事件は覚えていても加害者の名前までは覚えてないと思う。というか、松見、松本、河本の名前がマジカル頭脳パワーのマジカルチェンジみたいでややこしい。

一度、作中の人物との対応も併せて登場人物を整理する。

 

松見:主犯格。ドライヤーやカップ麺の人。「三浦譲治」のモデル。

松本:共犯格。被害者女性をセフレにしていた。男主人公の「竹内つばさ」。

河本:家を貸した人。ほとんど女性に触れていないが、示談に失敗したので逮捕された。「エノキ(石井照之)」。

藤田:不起訴勢。被害者女性にあまりはっきり認識されていなかったらしい。山谷えり子の親戚。「和久田悟」。

生嶋:不起訴勢。事件のひとつ前の飲み会では河本宅にて他の女性とセックスをキメた。「國枝幸児」。

被害者女性:松本のセフレ。Gカップ。女主人公の「神立美咲」

 

「彼女は頭が悪いから」の男主人公は、主犯格である松見ではなく、共犯格である松本だ。

傍聴した人間なら誰しも感じただろうが、起訴された松見、松本、河本のうち、ぶっちぎりで松本がサイコパスだった。自分に惚れた女を自分の良いように扱うことに迷いが無いのが、証言の端々から伝わってきた。

裁判中、被害者女性を飲み会に呼んだ理由や性的からかいをやめなかった理由を問われ、

松本「飲み会を盛り上げるため」

と一貫して答えた態度はもはや称賛に値する。

 

私の主観だけで言えば、松本はサイコパスクズ男、松見は際限を弁えずにやりすぎてしまったバカ、河本は家を貸しただけの善人に思えた。

不起訴になった藤田、生嶋は当時大学院修士1年だったが、学部4年だった河本は自主退学の条件を飲めず示談に至らなかった。証言によれば、被害者女性自身さえ「弁護士さんを挟んで示談するのが大変でやりづらい。河本くんは悪くないのに」と語ったという。

 

あの事件を、初対面に近い女性をかなり計画的にレイプした事件だと思っている人が結構いるのでこれを私は修正したい。というか、この本を貫くテーマも、あれがレイプではないというところにある。

「男の家に行く時点でわかっていたんだろ」などという被害者女性へのセカンドレイプはその誤解に起因する。

確かに、松見とは面識はほぼ初対面だったのであるが、被害者女性はメンバーの一人松本に惚れていた。飲み会の最中、松本から「こいつ俺の女だから」という旨の発言をされても強く否定しなかったという。

 

松本は、彼女からの好意には気づいていたが、それに応じる気が無かった。当時本命の恋人もいた。何より彼自身の特性としてサイコパス気味だった。

人間、自分の興味の無い相手からの好意はうっとうしいものだ。そして、自分に惚れこんだ相手は「都合のいい」存在になり、軽んじる。

だから松本は、飲み会の盛り上げ役として、この都合のいい女を持ってきた。

 

 

 

「彼女は頭が悪いから」は、美咲とつばさの恋愛模様を描写することによって、被害者女性と松本の関係性を生々しく引きずり出すことに成功している。

テレビニュースを軽く見ただけの人はきっと、東大生強制わいせつ事件の背景に男女関係があったことを知りもしないか忘れてしまっているだろう。

そこに切り込み、ストーリーの主軸に据えた点で、この本には大きな意義がある。そして、そういう切り口でドラマを描く以上、男主人公は松本、『つばさ』でなくてはならないのだ。

 

一方の女主人公美咲は、コンプレックスまみれの存在として描かれる。

横浜の住宅街に生まれた美咲は、いたって庶民的な女の子。勉強は並で、公立の中学、高校に進学する。私立に通う子らにはぼんやりとした憧れと、隔絶を感じており、総じて自己肯定感が低い。

何よりも、彼女の家庭環境は、いたって家庭的であるのだけれども教育にさほど投資をせず、美咲に古い時代の女性像の再生産を強いるようなものとして描かれる。

高校までは並の進学校に通っていた美咲は、家族や周囲の雰囲気に合わせて、偏差値48の大学に進学する。

高校時代にも恋人はいたが、恋はあまりうまくいかなかった。大学生になっていよいよ、周りが色めき立ってくると「選ばれなかった」美咲は更に自信を失っていく。その心の隙間にすっと入り込んできたのが、竹内つばさだった。

 

美咲は、へたくそに、まっすぐに生きて、恋をする。その先に、あの事件があった。

彼女は勘違いした女でも、セカンドレイプされるべき対象でもない。どこまでも、ひとりの普通の人間だ。

 

 

 

……と同時に、加害者らも、どこまでも普通の人間なのが辛いところ。

この本は、事件をベースに、被害者女性を徹底的に持ち上げ、東大生全体を徹底的に貶めるようにデコレーションされた、『フィクション』なのである。

 

 

――誕生日研究会の加害者らは口を揃えて「被害者女性が裸で笑っている写真を見せてもらったので、被害者女性は性的に奔放な女性なのだと思った」と証言した。

彼女が実際に性的に奔放だろうがなんだろうが、望まない相手とのセックスをする必要はない。それがセックスのルールだ。クソビッチ代表としてこの点は強く主張したい。

ただやはり、大半のマトモな女性は裸の写真を撮らせない。作中でも美咲は裸の写真を撮られている。話の都合上さりげなく、恋するオトメの秘めた思い出扱いしてスルーしようとしているが、それは少しズルいと思う。

 

(※2018/08/25追記

違和感あったので事実関係調べなおしました。

小説中では、つばさが性行為中に撮った写真を皆に見せびらかしたとされていますが、現実には、被害者女性は二人きりの時ではなく、他の飲み会の場で裸になってますね。

それはダメだろ。)

 

 性的なことへのハードルが低い相手だと思った、というのは犯罪者側の理屈ではあっても、推論としては十分に作用する。この写真が無かったなら、強引に事に及ぶことはなかったのではないかとさえ私は思う。

 

それから、作中で美咲の容姿は、少し太目だがどこか可愛らしい普通の女性として描写されている。

美咲は大学生になっても恋人はできていないし、譲治たちによって「デブブス」と表現されていたり、周りからの扱いはブスキャラなのであるが、地の文の中では女優の野川由美子似だとか、目が大きいだとか、肌が白いだとか、具体的な容姿の特徴は読者が不快感を抱かないような描写にされている。

「彼女は頭が悪いから」というタイトルは、東大生の歪んだ女性観を一言で言い表しているが、その一方で、世間の男性はまっすぐな女性観、顔の良い女と付き合いたいという気持ちを持っている。

作中でそんな風に、容姿を少し持ち上げなければならないことに私は少し嫌な気持ちを覚えた。学歴が低いから貶される、というのには多くの読者が反発を覚えても、美咲の容姿が明らかに悪ければ読者はフられる理由に納得してしまうだろうから。

現実そのままでは気持ちのいいフィクションにならないので、そうやって少しずつ、現実は読者の理想に近づけられていく。

 

 

作中において東大生は悪役でなければならないので、東大生の描写は非常に歪んでいる。

まずそもそも、東大についての描写がおかしい。

 

理Ⅰの数学は、他の理系学部とは若干傾向がちがう。スタンダードな問題をミスなく求められる傾向が強い。」(41頁)

理Ⅰの問題は理Ⅱ、理Ⅲと全く一緒です。

「東大の全学部での女子比率は1割である」(113頁)

「『東大ぜんぶで、女子は1割ですよね。理系だと1割切ってます。』」(186頁)

2割です。

 

この軽微な揺らぎが意図的なのかどうだかわかりかねるが、人物や情景の描写に必要だったとはあまり思えない。東大という実在する大学の名前を出した以上は東大を東大らしく描き切ったほうが潔いと思う。

一方で、加害者らの出身高校を武蔵→麻武、岡山朝日→広島春日のようにもじっているのは許しがたい。出身高校は東大生のキャラクターを位置づける重要なファクターなので、ここを日和って変更してしまうのは激おこカムチャッカファイヤーである。武蔵と麻布混ぜるんじゃねえ。俺の性癖に関わる。麻布の学祭にナンパ目的で来た開成生が文実に捕まり、逆にレイプされるBLとか読みたくありませんか?

出身高校で相手を判断するのは、実際の東大生らしく、また東大生らしいイヤらしさでもある。作中の東大生らは相手の家族を出身校などで値踏し、マウンティングをしているイヤミな存在である。であるならば、出身高校名はオトナの事情を踏み越えて描き切ってほしかったポイントである。

 

作中で東大生は全能感にあふれた、何の挫折も世間の常識も知らず、勉強マシーンのように表現されている。

主人公つばさはその最たる存在で、非常にドライな性格で驕っているにも関わらず、女子が向こうから寄ってくる。

 

実際の東大生は、全能感にあふれてなんかいない。いや、最初の1か月ぐらいはだいぶ怪しいが、半年も経った頃には”こなれて”くる。

作中キャラクターたちは学部3年、修士1年の設定になっている。実際の松見らとは1歳差がある状態で強制わいせつに及ぶが、こんな頃には自分の実力と自意識のバランスが取れてくる。テストの点数で学部が決まる進学振分けが終わっているのだ。そこには当然、誰かの敗北がある。あるいは、名門校出身者であれば、中高でとっくに挫折を知っている。

喩えるなら、さえないプロ野球選手だろうか。自分が野球の上手いことは知っている。地元では一番だった。野球で飯も食えている。でも、ひとにぎりのエース選手を除けば、自分がトップでないこと、そして彼らには一生かかっても勝てないことを知る。

そういうアスリートが全能感に溺れないように、東大の中で生きている東大生は本人なりのコンプレックスと向き合って暮らしている。

 

 

恋愛方面では、東大生が全能感にあふれているわけがない。

 

「(略)つばさが童貞を捨てたのは東大生になってからだ。簡単だった。東大理Ⅰの男子という立場を得れば、すぐに足元に2枚の女子カードがならぶ。」(61頁)

 

この一節の破壊力は凄まじい。 東大理Ⅰの男子の9割はキレる。こんな嘘を書かないでほしい。

 

東大生はおおむね、周りの女子の少なさによって全くモテない。

 むしろ、東大生がさほどモテないことを作中で強調したほうが、つばさや譲治たちの調子に乗りっぷりを表現できたかもしれないとさえ思う。

実情としては、男子校出身者が多くを占める東大新入生は童貞の集まりで、1年生のうちは自分たちの童貞をネタにして非モテホモソサエティを形成する。2,3年と学年が上がるにつれ、女子と接点のある男子は交際を始めていくが、それだって世間から数年遅れての男女交際である。

 

少し前に東大生をイジるテレビ番組が流行り、女子に不慣れな東大生に合コンをさせ、その滑稽さを笑う企画などが放送されていた。

もちろん変人を意図的に集めているし、編集と仕込みによって面白おかしく強調はされているものの、あのような外見や喋り方の男子が普通に生活していける夢のような環境が東京大学である。

 

だからまあ、モテない。東大女子が少なすぎるので他大生の女性と知り合うよりほかにないのであるが、インカレサークルに入るのだって、東大男子当人が陽キャラ寄りでなければ毛色が合わないし、顔やトーク力を見る入部セレクションなんてものもある。

結局、学歴というのは既にモテる人間のオプション程度のものなのだ。豚に真珠、ブスに巨乳、コミュ障に学歴。

であるから、この本のように東大生だというだけでモテるなんてのは真っ赤なウソ。だが、一定レベル以上の男子に学歴が付くと、途端に価値が出るというのは事実である。

 

 

第二回公判で、松本は「下心を持って近づいてきているような女性は嫌だった」と述べた。

松本自身はそれがどういう『下心』なのかを説明しなかった。この証言を報道する際に『(東大生への)下心』と注解を付けた東スポは見事だったと思う。もし仮に下心の指すものが松本の肉体に向いた性欲だったのだとしても、矛盾しないのだ。

 

当然、この場合の下心という言葉が示すのは、そういう性欲の類ではない。

 

この本の中で、つばさたちの考える『下心』と呼ばれる概念――他大の女子たちがスペックのみを目当てに東大生に寄りたがる感情は作者によって否定され続けている。美咲はそんな気持ちをつばさに抱いてはいなかったのだと。ありもしない『下心』を理由に他人を軽んじるのは間違っていると。

 

しかし、『下心』を東大生に抱く女性は実在するし、東大男子はそういう相手を恐れて、軽蔑している。

先ほど、東大生の描写が歪んでいると述べたが、この点においてはつばさの心理は実在の東大生の心理そのものであるのだ。

 

数年前、Twitterの東大生の間で「外付け肉便器」という言葉が一瞬だけ流行った。今では私ぐらいしか使わない言葉であるが、それでも、東大男子はこの下品な語の意味するところを初見で理解する。

あるいは、テレビに出た某イケメン東大生は、自分に群がるミーハーな女子のことを『肉塊』と呼んではばからなかった。

 

童貞の東大男子も、男子校出身の大学デビュー組も、最初からモテてた勝ち組も、このコモンセンスを共有している。

でもそれは、バカ相手だったら何してもいい、と単純に考えているからではない。

 

モテない期間が長かった者は、自分の恋愛経験の自信の薄さから、本当に好かれているのか、スペックだけで中身はやっぱり魅力がないままなんじゃないか、という不安を抱く。男子校出身者が多い東大において、この傾向は顕著である。

嫌なほどモテる少数の超勝ち組でさえ、人間がスペックに釣られる様を目の当たりにし、その浅ましさが嫌になる。美女であっても、社会階級が違えば恋人にするのが難しいことの実際を知る。

 

東大生であることによって自分を否定されたくない。でも、東大生であることによってのみ自分を評価されたくない。東大生であることを素直に認めてほしい、スペックでない自分の中身を見てほしい。

あの軽蔑は、男一般が抱くミソジニーと、人間誰もが抱く同族意識と、恋愛における自己肯定感の低さとがないまぜになった、薄暗い感情だと思う。

 

 

誕生日研究会の連中にあったのは、ただ「東大ではない人間を馬鹿にしたい欲」だけだっただろうか。そこにあるのは「ありのままの自分を認めてほしい」という、小さく可愛らしい願いではなかったか。

 

 

最後にひとつ。まだこの本を読んでいないのであればぜひ、「だろうか」「ではなかったか」という表現に着目しながら読み進めてほしい。

多分現実は、その憶測よりもずっと汚い。