ある元ドリブンズファンはどのように2021シーズンの11月23日で挫折したか

7s切りです。

 

色々考えたんですが、發対々赤1では残り1枚の赤5sに絡む黒5s出てこないし、中が配牌に2枚あった訳は無いし、他の色が入ったタテ気味の手で序盤から中が1枚あったなら發鳴かずに七対子に打点を求める方向もあるのでやっぱり索子染め手が本線ですよね。後半、ダブ南含む役牌と赤5m見えたことで索子以外での手役がすべて否定されてしまった状況での7s切り、だいぶ苦しい。

 

トップの白鳥が+7200、3着の瑠美が-8600、4着の寿人が-24600、供託無しの1本場。

 

1着:白鳥の満貫放銃、自力でのアガリ・連荘

2着:白鳥アガリ、オリてのノーテン流局、園田→白鳥・寿人の8300までの放銃

3着:瑠美の満貫ツモ、園田→瑠美満貫放銃、寿人のリー棒が出てからの瑠美の満貫横移動

3.5着:寿人への跳満放銃

4着:ほぼ無い

 

正直、7s掴んだ時点で2着を死守できればよし、白鳥がトップ欲しさに1s押ししたらラッキーぐらいの局面だったと思いますが、牌譜検討ライブ動画を見たところ園田さんは2着と3着の間に差を見出していないが、3.5着だけは嫌なことがわかりました。そうとしか思えない。

さすがに5s、9s通った後の7s辛すぎるめう。明らかにテンパイ入ってる白鳥にも無筋めう。無理めう。どうせ振って2着以下なら降りればいいめう。ちなみに、合わせなかった1sは寿人への安牌だそうです

 

ちょっとショックが大きすぎて、あれから24時間以上経ちますが「7s……7s……」ってウワゴトを唱えています。ソファに座って「7s……」缶チューハイをごくりと飲み干して「7s……」、湯船にざぶーんとつかってため息のように「7s……」、ブログ上の誇張表現でなく、ガチで家で7sの話しかしていないです。

あまりに打ちひしがれている自分に、「KONAMI麻雀格闘倶楽部を応援すればいいよ!!伊達ありさも強いよ!!」と同居人が別チームの応援を勧めてきました

ウンそうだね、まっすぐ打つ攻めっぷりの強いスタイルだとまる子も大好きだけど、伊達ありさの方が登板回数が多そうだもんね……

 

というわけで今季は格闘倶楽部に浮気することにしました。他チームへの移籍っていう実績作ってくれた点も結構好き。オフィシャルサポーターになって課金じゃー。勝ち馬に乗ってると言われても仕方ないが、今の格闘倶楽部、雀力よし、人気よしのドリームチームだもんね!

 

 

 

 

以下は本編より長いおまけです。

個人攻撃はよくないよ!といいつつ個人攻撃を同時に行ってます。バター猫ぐるぐる……

 

○daisuke氏の例のnoteの話

まず、自分は、議論は当然していいという立場です。

それを踏まえたうえで、彼の意見が極端だと感じるポイントが2点。

①プロが腹をくくるべきラインを間違えている

一般に、人間は否定をされるのが嫌いに決まってる。だけど、仕事だからこそ腹を括って受け入れなければならないラインというのがある。
「選手の批判ではなく、打牌についての議論ができるようになればいい」というのはまさにこの話。それ以外の人格から切り離して、仕事として提供すべきものだけを語ろうという、至極当然の話だと思う。

もちろん言い方の問題はあるので、人格ごと否定するような言い方はよろしくない。
「ドラ3つで良形高打点狙える手で5s5mのシャンポンリーチかける奴がいるかバカクソウンコ、鳴いている相手に索子高いの見えてねえのか、その5s一枚でも山にいるかどうか考えてみろよ、そもそもその牌もらってその手組みになることねえだろプロやめろ」などと言ってはいけない

 

打牌は選手の人格と不可分だ、という話は、プレイスタイルは個性の範疇だという意味なら理解できる。視聴者のプレイヤー層が現代的ネット麻雀に偏っているために、腰の重い雀風の選手が、不必要にキツイ意見を貰っているなと感じていることはある。

コバゴーと寿人とだと副露率は倍近く違うけれど、彼らがともに強いことは疑いようがない。異なる打牌、異なる道筋をたどりながらも、強さという共通の軸があるのだと思わせてくれる。多井隆晴の表現を借りるなら、近い未来に「麻雀AI」が数値化してくれる何かしらのことだ。

自分のスタイルと違っても強く否定せず、その打ち筋に敬意を払うというモラルは視聴者に求められるかもしれないけれど、プロが強さを追い求めなくなってしまったら、それは素人の後ろ見してるのと変わらなくなってしまうだろうと思う。最適手を導き出してくれる麻雀AIとやらはまだこの世に存在しないのでハッキリ点数をつけることはできず、それゆえに多様なアプローチや好みの幅を許しているけれども、人間の心はあからさまにヘタクソな手に感動を見出すようにはできていない。

 

daisuke氏が話題にしている「説明責任」とやらの話をするなら、雀士は別に打牌の意図を話す必要はないと思う。

「打牌の意図を聞くのは、商売のタネを気安くもらおうとしているように見えて」などという発言から、彼はMリーガーやプロ雀士に直接話しかけたり返答を求めることをかなり重く見ているように思われるが、自分は打牌議論と言った時にはあくまでリアルでのお喋りや、SNSでの感想、Abemaのコメ欄のことだろうと思うので、ずいぶん極端なシチュエーションを想定しているのだなと感じる。Abemaのコメ欄を後から追ったりエゴサしない限り(とは言っても選手はエゴサする。近藤誠一エゴサふぁぼ圧強いンゴ、変なこと言うと直接リプが来るンゴ)目に入らない場所での打牌についての話は全然別だろうと思う。

人に教えるとなれば、それは金を介して責任を果たすべきだが、リプライで来たぐらいの話は無視でいい。打牌議論が苦でないか、ファンサービスとして行える覚悟があるのなら、返事をしても良い。そういうことをしてくれる雀士にはファンも節度を持って話しかけてもいいだろうと思う。
しかし、自分が公衆の面前で打った牌についてどうこう言われるぐらいのことは、直接話しかけられるのとは別に、許容しなければいけないと思う。

仕事や能力は人格の一部だし、否定されるのが心地良いものではない。正論であれば傷つかないということもない。むしろ正論であると倍苦しむ。ハゲにハゲと言っちゃダメだぞ。
しかし、客に提供する内容については客の感想を許すべきだ。それこそが打牌である。

むしろ自分は、直接否定的な言葉にしなくとも、雀プロに『他の要素』を求めることの方がよっぽど危ういと感じる。
ルックスが良い人間が仕事を得ることが正しいか?口が達者な人間が仕事を得ることが正しいか?
顔や喋りまではどんな業界でも常だろうと言われても、激痛足ツボで苦しんだり、慣れないダンスを披露させられて笑いものにされることまで仕事として受け入れなければいけないだろうか?数万円の対価のためにそんなことをさせるのが正しいことだろうか?いや、自分は堀慎吾の45秒を爆笑しながら5回見ましたけど…(AVに出演した教員をAV見た親が通報するようなムーブやめな)。

 

②客の立場を間違えている

daisuke氏は客として、素朴な感想を述べている。森井監督が動画に出演すべきか、なんてことは本人が決めるべきだし、それは彼の仕事ぶりと直結しているわけだから、打牌が生き様云々言うのなら、森井監督の挙動についての感想すら表に出すべきでない。

daisuke氏はある意味で、客という立場に甘えている。自分の意見が、言われた側の平澤氏や、森井監督にどういう感情を与えるかということを棚に上げていた。個人のブログだから、本人の目に入らないとでも思ったのかもしれない(でも、自分も正直、森井監督は表に出ておしゃべりするのが好きな人だなとは感じる)。

その率直な感想を客として率直に述べても善いと思っているように、麻雀好きは打牌について語っても善いと思っている。言われた側の本人もそんなには傷つかないだろう、あるいは傷ついてもそれはプロとして受け入れるべきことだろうと思っている。

というか打牌議論に賛同的な立場を監督が表明しただけでチームの応援モチベが変わるの、別に客だから自由だけれども、だいぶセンシティブな気はする。

 

daisuke氏自身は麻雀をどれぐらいやるのだろうか。打牌議論、オタク的な麻雀の楽しみ方ではあるけれど、プレイヤーであれば通らないわけにいかないルートだと思う。

対人ゲームの経験が多ければこういった立場にならないのではないかと憶測してしまう。だいたいの対人ゲームはアマチュアしかいないコミュニティなので、大会優勝者ってすごく身近だ。カードゲームとかもそう。テレビゲームの対人ゲームとかもそう。自分もプレイヤー、相手もプレイヤー。

つい最近まで、麻雀というのはプロはいるけども、あの店に行けば打てるというぐらいの、そこらの店員のニイちゃんだったりした。
天鳳位だったアサピンなんて、天鳳にログインして(高段位の卓にさえ入れ)れば対局できた。「今日は負けが込んだな」って思った日に、同卓してた10段が「天鳳位取ることが出来ました!」なんてTwitterで報告してる世界だ。クソムカつくぞ。


Mリーグから入っている人の方が、タレントだと考えているというか、テレビの向こうの人間として選手を神格化している。でも、プレイヤーにとっては、憧れで、学ぶべき相手で、倒してみたい相手じゃん。そういう人たちにとって、打牌こそは彼らの凄さの根源であり、共通言語なんだよね。

というか、打牌しかやることが無いゲームで打牌以外に喋ること無いんだよな。

多井隆晴アンチスレの住人、誰も打牌をdisってないぞ。「もっと強いプロいることね?」みたいなこと言う奴はいるけど、具体的な打牌取り上げてミス指摘出来ている人間いないぞ。「昔は俺もファンだった……あんな性格じゃなければ」「ミスは無いし強いよな……でも人間性」「強いけど守備派だから観戦する面白さは微妙だよな……それはそうといい歳してVTuberの女と絡んでるのキモ」しか言ってない気がするけど、まさか彼らが人格否定してないなんてことないと思うよ。

 

あとはもう個人攻撃というかdaisuke氏のバックグラウンドの話になってしまうのだけど。本人が学者って名乗ってるけど、学者ならむしろ誰からでも指摘受けて当たり前なんじゃないの、と思う。公開した論文に、誰が何言ってても、自由にさせるのが職業倫理でしょう。
それが筋違いだったり、タダで手取り足取り基礎理論から教えてもらおうとしている人間だったら相手にする必要は無い。無視するのも心が少し疲れることではあるけれど。
だけど、論文が単純に間違っているような場合は受け入れなければならないし、そこで発言者の属性を問うのはおかしなことだと思う。
理論のすべてを理解せずとも具体的な反例だけ見つけた人がいたような時に「貴方は学問界に対して責任を負っていないので議論すべきでない」とか言うのかしら。
専攻はシステムの、実務屋さん寄りなのかな。それならむしろ、麻雀のヒューリスティクスな側面を理解してくれたらいいのに。


学者なら、理屈をつけることを無粋と言わずに、美しさから切り分けてほしいと思った。

ある現象が言葉や計算式を尽くして説明できることを、無粋と感じる人間は存在するが、しかし学者にはそれを許してほしかった。
単に花火を美しいと感じる気持ちと、エネルギー準位の差がもたらす炎色反応という現象を興味深く思う気持ちは両立するのだと考えていてほしかった。

花火デートの時に炎色反応の話をする奴がモテるかって、モテないよ。だけど、僕らは炎色反応の側の話がしたいんだ。それをTwitterでやるぐらいのことを許してくれないかなあ。